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最高裁判所第三小法廷 昭和32年(オ)1166号 判決 1960年3月15日

上告人 藤田七郎

被上告人 藤田光江

右当事者間の子の引渡請求事件について、東京高等裁判所が昭和三二年九月一七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人諏訪栄次郎の上告理由第一点について。

論旨は、原判決に法令の解釈を誤つた違法があると主張する。

仮に、藤田直人の監護教育につき、その父藤田義男が昭和二五年一月二〇日死亡する直前、同人と上告人との間に、所論の如き委託契約が成立したとしても、それは委任に準ぜらるる契約と解すべきものであるから、特段の事情のない限り、民法六五六条、六五三条により、右義男の死亡に因り終了したものと解すべきを当然とする。したがつて、右契約の存在を主張しても、親権者である被上告人に対し、右直人の引渡を拒む理由とはならない。原判決に所論の違法を見出せぬ。

論旨は、理由がない。

同第二点について。

論旨は、原判決に証拠判断遺脱の違法、採証法則違背があると主張する。

所論証人鈴木静男、同井上四郎の各証言の一部により、乙三号証の成立が認められ、その成立事情及び趣旨が明白にされるときは、同証により、被上告人が上告人に対し、被上告人の長男なる右直人の監護方を委託した事実を確認し得ないものでもないのであるから、これ等の証言の一部と、乙三号証の内容は、被上告人の意思に基くことなく、何人かが擅にこれを記入したものであるとした原判決の事実認定とが、牴触することとなるものとせねばならない。しかるに、原判決は、右証言の一部を排斥するか否かにつき何等判断して居ないのであるから、原判決に、証拠判断遺脱の違法ある可能性、必ずしもないとはいえない。

しかし原判決は、所論の如き委託があつたとしても、委託者において何時でもこれを解除し得るものであるとし、その解除の事実をも認定して、右委託の存続に基く上告人の抗弁を排斥して居るのであつて、その判断は、これを是認し得られる。されば、所論判断遺脱は、結局原判決に影響を及ぼすことの明かな法令違背とはいえない。

乙三号証及び右証人鈴木静男並に同井上四郎の各証言を除くその余の所論証拠については、原判決は、これ等を以つてするも所論委託の事実を認むるに足らないと判断して居るのであり、その判断は、これを是認し得られるのであるから、所論の違法があるとはいえない。

論旨は、結局理由がない。

同第三点について。

論旨は、原判決に理由不備、判断遺脱の違法があると主張する。

原判決は、被上告人は夫義男との間の子直人の監護養育を夫義男に委託して同人と別居することにしたが、夫義男の生前においては、被上告人と同人の離婚が成立するに至らなかつた事実と認定して、夫婦間の協議により右直人の親権者を夫義男と定める合意の成立した事実を否定した趣旨であること、明白である。而して原審挙示の証拠による右事実確定は、これを是認し得られる。

論旨は、結局原審の適法なる証拠判断、事実認定を非難するに帰するから、これを採用し得ない。

同第四点について。

論旨は、原判決に採証法則違背の結果、事実誤認に至つた違法があると主張する。

しかし、原審がその挙示の適法なる証拠を判断した結果、所論原判示事実を認定したものであり、その証拠判断による所論事実認定は是認し得られる。原判決に所論の違法はない。

論旨は、これを採用し得ない。

同第五点について。

論旨は、原判決に、子を監護する権利の本質を誤解し、権利濫用に関する法規の適用を誤つた違法があると主張する。

被上告人の本件請求は、被上告人の親権に服する子直人に対し、被上告人がその親権を行使するにつき、上告人の妨害の排除を求むるに在ること明かである。同点一所論の如く、本件請求の目的が、右直人の養育に在るのではなくして、亡夫義男の遺産を取得するにあるとの事実は、原判示に即しないばかりでなく、同点一に列挙した諸事実の如きは、本件請求の当否に関係があるとは到底解し得られない。同点二所論の事実も亦、必ずしも原審の事実認定に即するとはいえないばかりでなく、かかる事実は、いまだ被上告人に親権濫用のある理由とするに足らない。また、同点三についても、原判示によれば、右直人は昭和二二年五月一〇日生であり、父藤田義男死亡直後、被上告人が上告人に対し、右直人の引渡を求むる調停を申立てた昭和二五年二月一四日には、いまだ三才に満たない幼児であり、上告人はその頃より引続き右直人を手許におき、或は実姉安達はるみに託して養育を続けて来たとのことであるから、上告人或はその実姉安達はるみ方に留つたことが、右直人の自由意思に基いたものとは、到底解し得ない。

されば、原審確定の事実関係の下においては、被上告人の本件請求を認容した原判決に、所論の違法があるとは考えられない。

論旨も亦採用し得ない。

同第六点について。

論旨は、原判決に右直人の居住の自由を侵し憲法二二条違反があると主張する。

本件請求は、右直人に対し、民法八二一条に基く居所指定権により、その居所を定めることを求めるものではなくして、被上告人が同人に対する親権を行使するにつき、これを妨害することの排除を、上告人に対し求めるものであること、多言を要しない所である。したがつて、本件請求を認容する判決によつて、被上告人の親権行使に対する妨害が排除せられるとしても、右直人に対し、被上告人の支配下に入ることを強制し得るものではない。それは、同人が自ら居所を定める意思能力を有すると否とに関係のない事項であつて、憲法二二条所定の居住移転の自由とも亦何等関係がない。されば違憲の主張は、その前提を欠くに帰する。

論旨は採用し得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石坂修一 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔)

上告代理人諏訪栄次郎の上告理由

第一、本件争いの実情

一、上告人の兄亡藤田義男は、菅原とすみ夫妻の媒酌にて、昭和二一年中、被上告人と事実上の婚いんをなし同せいをはじめ、翌二二年六月一二日その正式手続をすませ、同年五月一〇日長男直人を儲けた。(甲第一号証参照)

二、右義男は、被上告人と同せい後東京都文京区湯島に住宅を建てそこに、被上告人の養母松本ハルを同居させ、上野駅前に店舗を借り、ベアリング商を営んでいた。

三、上告人は、右義男と同居し、同人が胸部疾患のため療養を要する身なので、同人の営業を補佐していた。

四、被上告人の養母松本ハルは、右義男に無断で、同人と被上告人間の婚いん届をほしいままに作成し、これを昭和二二年八月二三日右松本ハルの本籍地である東京都大田区役所に提出したため、被上告人等は、婚いんの月日を異にする二重戸籍を生ずるに至つた。(甲第三号証参照、同号証に、被上告人の長男直人の記載がない事実に御留意されたい)

右松本ハルは、頑迷な性格の持主であり、右の如きことをする人柄であつたため、右義男と性格が合わず昭和二三年春合意の上同人方を立退き別居した。

五、被上告人は、右義男の病勢が益々悪化するに伴い、同人に対する態度も冷淡となり、夫婦の折合は、右松本ハルの指図もあつてか日増に悪くなつて行つた。昭和二四年一月下旬頃には、間借人、北国男と貞操を疑わしめるような行為があつたのを、右義男に覚知され問題にされたが、それは右両名共謝罪したのでおさまつた。(乙第一号証参照)

六、被上告人の行状が、右の如くで一向改まらなかつたので、右義男は、被上告人と離婚することにきめ、被上告人も佐藤音松を代理人として離婚を要求したため、昭和二四年八月一四日頃協議離婚する合意が成立し、長男直人は、夫義男が親権者となり監護教育一切をすることにして、被上告人は、義男から手切れ金壱万円を受領し、長男直人を夫のところに置いて、自己の荷物一切を持つて藤田家を去つた。そして間もなく被上告人は、右佐藤者松及び被上告人の養母松本ハルの知人松井巌の両名が証人として署名捺印した離婚届書二通を右義男のもとに届け速かに除籍するよう求めてきた。(乙第二号証の一、二参照)

七、義男は右の離婚届を、宮城県下の本籍地役場に送つたけれども書類不備のため返送されたのでそのまゝ放置し、翌二五年一月初頃安達はるみの媒酌にて、時田豊美子と事実上の夫婦となり、右両名にて直人の養育にあたつたが、同年一月二〇日義男は病状急に悪化し逐に死亡した。

八、上告人は、兄弟一同よりいわゆる逆えんをすゝめられ、義男の死後右豊美子と婚いんし、亡兄義男の遺志を継ぎ直人の養育並びに営業一切をみることになつた。

九、被上告人は、同年二月一日上告人に対し、亡義男の遺産相続分の放棄並に直人の親権、財産管理権辞任を約し、これが正式手続を一切上告人に任せた。(乙第三号証参照)

一〇、しかるに被上告人は、同年二月一四日意外にも上告人を相手取り、東京家庭裁判所に亡義男の遺産である建物並びに直人の引渡を求める調停を申立てたので、数回その調停が試みられた結果、直人の監護教育、右建物の管理は、上告人が行い被上告人は、上告人の行う監護教育に協力する旨の合意が成立し、同年七月二〇日右示談成立の理由によつて、取り下げられた。(乙第四、六号証参照)

一一、上告人は、かような経緯で妻豊美子と共に、直人をわが子同様に愛育しているのに、被上告人は、亡義男の遺産目当てに右建物や電話加入権に対する仮処分の申請をなし、果ては、直人引渡しの仮処分申請に及んだが、いずれもなかなからちがあかないので、右建物については三橋正治にこれを売卸し同人名義を以つて、又直人については被上告人名義にて、いずれも上告人に対し訴求するに至つた。

以上が本件争の実情である。

一二、本件の第一審裁判所は、以上の事実関係について詳細審理し被上告人の本訴請求の目的が、亡義男の遺産目当の疑いが多分にあることを認め、又事件全体からみて、上告人において直人を監護教育することが同人の現在並びに将来の利益になるものと考え上告人を勝たせたため、当時進歩的判決として新聞、雑誌等により報道されたのであつだ。(右第一審判決の請求棄卸の表面上の理由は「直人の自由意思言々」となつているが、その真意は、前記の理由にあるものと思料する)

一三、ところが原裁判所は、右第一審判決の認定した間接事実を極めて簡単な証拠調をしたのみで上告人本人の取調べをなさずに、すつかり覆がへし、殊に被上告人には、特に非難を受くべき所行はないと断定して、上告人を敗かしたのである。

そこで上告人は、原判決の理由には到底承服できないので、左にその不服の理由を陳述する。

第二、上告の理由

第一点 原判決は、法令の解釈を誤りたる違法があり破棄されべきである。

原判決は、その理由の初頃において「被控訴人の主張する(一)の直人の父義男の委託については、仮にかかる委託の事実があつたとしても、委託者たる義男が既に死亡していることは前段認定のとおりであるから、そのなした委託は右死亡に因り終了したものというべく(民法第六五六条、第六五〇参条参照)被控訴人は今さらこれを援用して、直人の引渡を拒むことができないものといわなければならぬ。」と判示した。

即ち原判決は、幼児の監護委託の法律関係を、民法の準委任と解したのである。

しかし、右の解釈は明らかに誤りであつて、おそらく何人もかかる見解については、異論を有するところと思う。(上告人は、右の法令の解釈の誤りが、直ちに判決に影響を及ぼすべき法令の違背とならないことは承知するところであるが、原判決が、子の監護委託契約の性質を、法律行為に非ざる事務処理を委託する準委任契約と断じ、これを一般世上の事務処理の一種とする見解の下に本件事案を審理判断されたこと-このことのために、原判決は現実を無視し子供本位に者慮せず、あくまでも事務処理的に判断されたことにつき、強い不満を訴えたいのである。)

第二点 原判決は、証拠の判断を遺脱し、かつ、採証の法則に違背した違法があり、破棄されべきである。

原判決は、その理由の中頃において、「次に、被控訴人の主張する(二)の控訴人のなした委託については、被控訴人は、控訴人の被控訴人に対して第三号証(乙第三号証が正当)を差し入れて、藤田直人の監護方を委託し、さらに後日昭和二五年七月二〇日頃その趣旨を確認した、と主張する。そして被控訴人主張の調停の申立並びに、その取下の事実は控訴人の認めるところであるけれども、右委託並びに確認の事実は控訴人の否認するとこであつて、被控訴人が右委託の証拠とする乙第三号証の本文は、原審並びに当審における控訴人(原告)本人尋問の結果によれば、控訴人が署名捺印した白紙に何人かがほしいまゝに記入したものであつて、控訴人の全く関知しないものであることが明らかであるので採つてもつてこれが証拠となすことが出来ず、被控訴人の右主張に符合する原審証人安達はるみ、当審証人菅原とすみの証言並びに原審における被告(被控訴人)本人尋問の結果もこれを右控訴人(原告)本人の供述と対比するときは、にわかに信をおき難く、他に右委託並びに確認の事実を認めるに足る確証がない」と判示している。

しかしながら、上告人が右委託の証拠とする乙第三号証は、第一審証人鈴木静男、同井上四郎の各証言によれば、弁護士である井上証人が、右乙第三号証本文の文案を作りその下書をなし、これに基き訴外藤田利雄が右乙第三号証の本文そのものを、ボールペンにて、したためた上右藤田利雄と右鈴本証人の二人が被上告人のところえこれを持参し、被上告人に右鈴本証人が口添えして趣旨を説明し、被上告人も右文書の記載内容を了承して、これに署名捺印したものである。即ち真正に成立したものなのである。

しかるに原判決は、右乙第三号証の成立に関しては、前記の如くその作成に直接関与し、その事情を詳細証明している右証人鈴木、井上の各証言が存在することを漫然看過し、右各証言についてなんらの判断をしないで、単に右各証人等から右の事実を伝聞して知つたに過ぎない、前記第一審証人安達はるみ、原審証人菅原とすみの証言並びに上告人の第一審における本人尋問の結果についてのみ、何れもにわかに信をおき難いとして排斥し、前記証人鈴木、井上の直接証言の存在を無視して、他に証拠はないとしたが、右は証拠の判断を遺脱し、且つ、採証の法則に違背した遺法があること明らかである。

そして右乙第三号証は、被上告人が直人の親権辞任の手続を上告人に一切委任する趣旨の上告人宛差入れた唯一の文書であつて、判決に影響を及ぼすべき重要なる資料(証拠)の一つであるから、原判決は、右の違法により破棄されるべきものである。

次に、確認の事実は(確認と言うよりは、むしろ当事者間に争いのない家事調停中、被上告人が直人を上告人のもとで養育することを認めて右調停を取り下げた事実と言うべきである)成立に争いのない乙第四、六号証(乙第六号証本文には、「示談成立に付」と被上告人が自筆している)並びに第一審証人井上四郎、鈴木静男、安達はるみの各証言、原審証人菅原とすみの証言、第一審における上告人の本人尋問の結果によりこれを十分認められるのである。そして本件の第一審判決は、右「確認」の事実を前記各証拠等により認定したのであつた。

しかるに原判決は、前記乙第四、六号証殊に右乙第六号証には調停取り下げの理由として「示談成立に付」と明示してあり、且つ、被上告人自ら作成したいわゆる処分文書であるのに、これら原判決認定事実の支障となる文書並びに前記証人井上、鈴木の各証言につきなんらの判断をしないで、他に確認の事実を認めるに足る確証がないとしたのは、前同様の違法があり破棄されべきである。

第三点 原判決は、理由不備、判断遺脱の違法があり、破棄を免れないものである。

原判決は、その理由の中頃において、「事実上は、藤田義男は控訴人の入夫の如き生活をしていたにも拘らず控訴人の養母松本ハルと折合が悪くハルが控訴人並びに藤田義男と別居するに至つたことから、控訴人もまた昭和二四年八月には、藤田義男との間に儲けた直人を藤田義男の監護に委して同人と別居するに至つたこと、藤田義男は控訴人との離婚の手続をしないまゝで昭和二五年一月二〇日死亡したこと」を認定した。

そこで原判決は、右の判文からして、一体藤田義男と被上告人(控訴人)との間に昭和二四年八月事実上の協議離婚並びにその長男直人の親権者を右義男とする合意が成立し離別したがその戸籍上の手続をしないうちに義男が死亡したと認定したのか或は単なる夫婦別居、子供の監護委託をしたに過ぎなかつたものとみたのか不明である。(原判文が、乙第二号証の一、二を採証せず、又別居と判示し離別としなかつたところからみて後者の意味に認定したものと推測することはできるけれども)そして右の点は、間接事実ではあるけれどもこれを如何に認定するかは、本件事案の性質上判決に重大なる影響を及ぼすものであることは、まことに明白なところであるから、これを明確にしない原判決は、理由不備審理不尽の違法がある。(本件の第一審判決は、この点を証拠に基き事実上の協議離婚、親権者決定と明確にしている)

そして被上告人と藤田義男との間に、昭和二四年八月一四日事実上の協議離婚並びにその長男直人の親権者を、右義男とする合意が成立したことは、第一審証人米山林作、望月いね、井上四郎、原審証人菅原とすみの各証言、第一審における上告人本人の尋問の結果により成立を認められる乙第二号証の一、二及び右各証人の証言並びに上告人本人の供述により明白である。(乙第二号証の一、二の離婚届書の(七)欄に、夫が親権を行う子の氏名として藤田直人と明記されている点及び、(三)欄の証人、佐藤音松、松井巌がいずれも被上告人の関係者であつて、証人として署名捺印している点に御留意せられたい)しかるに、原判決は、右明白なる各証拠につきなんらの判断をしていないから、判断遺脱の違法もある。

第四点 原判決は、採証の法則に違背し、事実を誤認した違法があり破棄されべきものである。

原判決は、その理由の中頃及び終り頃において、(イ)「藤田義男は控訴人の戸籍に控訴人の氏を称して入籍すると共に、控訴人は藤田義男の戸籍にも妻として入籍し、二重戸籍を生ずるに至つたが、事実上は、藤田義男は控訴人のいわゆる入夫の如き生活をしていた」こと及び(ロ)「控訴人は、その過去においても特に非議を受くべき所行なく、藤田義男との別居も控訴人の不貞に起因するものではなく、もつぱら控訴人の養母との不仲に基くもの」である旨それぞれ認定した。しかし、右(イ)の事実は、これを認めるに足る証拠は何もない。

甲第一号証と甲第三号証の各戸籍簿の謄本の記載を精査対照すれば直ちに判明する如く、後者は婚いんの年月日が前者のそれより後になつており、又既に出生していた長男直人の記載も後者にはない。後者の婚いん届出は、被上告人の養母松本ハルが藤田義男に無断で、同人と被上告人間の婚いん届をほしいまゝに作成し、被上告人の本籍地の戸籍係に提出したゝめ、かように婚いんの年月日を異にする二量戸籍を生ずるに至つたものであつて、このことは上告人等の全く知らなかつたところであつたが、被上告人が上告人を相手取り申立てた東京家庭裁判所の子の引渡等事件の調停において、はじめて知つたものであり、そのとき松本ハルにおいても、その非行を認め上告人等に対し謝罪した事実があるのである。又第一審証人米山林作の証言(第一項及び第五項)によれば藤田義男は、被上告人と婚いん後同証人の宅地内にバラックを建て松本ハルを引き取り、その後現在上告人及び直人で住んでいる家屋を建てそこへ転居したことが認められる、即ち、入夫の如き生活ではなく全くその逆なのである。又右(ロ)の事実についても明らかに事実に反する。

即ち原判決がこの点の認定に当り排斥した証拠を除いても、前掲証人鈴木静男、米山林作の各証言並びに乙第一号証を綜合すれば、被上告人は、昭和二四年一月二八日に夜半同居人、北国男との間に貞操を疑わしめるような行為があつたことが、十分認められるのである。原判決は、右明白なる証拠については、なんの判断をしていないが、それが仮に適法であるとしても余りにも不親切なことである。又原判決は、前記の如く被上告人に特に非議を受くべき所行はないと断じているが、被上告人は藤田義男の遺産で、その長男直人及び被上告人の両名が相続した住宅一棟を、(右建物には持分三分の二を有する直人が居住しているにも拘らず)昭和二八年六月一七日訴外三橋正治に売卸したとして、同人名義を以つて上告人に対し、家屋明渡の裁判上の請求をさせているのである。(東京地方昭和二八年(ワ)第六三五四号事件、上告人敗訴、目下東京高等昭和三十年(ネ)第一五八四号事件として第八民事部にて審理中)被上告人は、右家屋売卸の理由につき、第一審における被上告人本人尋問のときには、「私に三橋に義男の作つた家を売つたのではありません、私が義男の家を出てから世話になつたので、御礼として差上げたようになつているのです、三橋から一応五〇万円の証書が入つています、その内金として五万円は貰つております、そのことについては一切三橋に委せてあります、三橋がその家に対する家屋明渡の裁判をかけていることを知つています直人の権利も三分の二入つているのにそういうことをするのはおかしいかどうか私にはよく分りません」(尋問調書第一七項)と供述し、又原審においては、「私は別居後被控訴人現在の家屋を三橋と言う人に、昭和二七、八年頃売卸しました、と言うのは被控訴人方で同家屋を担保に差し入れそうな態度が見られたからです」(尋問調書第九項)と述べており、右売卸の理由についても趣旨一貫せず全くでたらめを平気で供述しているのである。被上告人がどんな人柄であるかは、このような事実により看取できる筈である。

被上告人の右のような所行が証拠上明認できるのに、それでも原判決の如く、被上告人には、特に非議を受くべき所行はないと断定できるものであろうか、上告人は声を大にして反問したいところである。

第五点 原判決は、子の監護権の本質を誤解し、権利濫用の適用を誤つた違法があり破棄されべきものである。

元来親権は、これを権利というよりは、むしろ義務というべきものであつて、子供をよい環境の下にて立派に育て立派な社会人として送り出す国家社会から委託された任務である。

したがつて、単に子供の生母であり戸籍上の親権者であるということだけに基く子の引渡即ち監護権の行使は、右の見地からその許否を決すべきものと思う。

被上告人の本訴請求を検討するに、

一、被上告人の直人の引渡を求むる目的は、直人本人を愛育したいということよりは、むしろ亡夫義男の遺産の取得にあることが次の事実からして窺われるのである。

(1) 本件第一審において、東京家庭裁判所が取寄せた同庁昭和二五年(家イ)第三一七号建物明渡並びに子の引取り調停事件記録編綴の右調停申立書中「然るところ、相手方(上告人のこと)は、亡夫義男の遺産に付ては何か遺言があるとか申して申立人(被上告人のこと)の相続を否定する模様であり長男直人は申立人がその親権者であつて監護教育の権利と義務とは、申立人に有るにも拘らず子供を引渡して呉れないのです。前記の如く申立人は長男直人を引取り之を養育する為には、亡夫の遺産を相続し之によつて今後の生計を立てゝ行きたいので申立趣旨記載の通り調停をお願する次第です」との記載があり、被上告人は亡夫の遺産の取得を強調している事実。

(2) 被上告人が上告人を相手方として亡夫義男の遺産である建物(上告人及び直人等の現住中のもの)につき、昭和二七年六月一四日占有移転禁止の仮処分を執行した事実。

(3) 被上告人が、昭和二八年六月一七日右建物を、三橋正治に売卸したとして、同人名義を以て上告人に対し、本件子の引渡請求訴訟に接して家屋明渡請求の訴訟を提起し、これが明渡を強制している事実。

(4) 被上告人が、昭和二六年七月頃上告人に対し、亡夫義男名義の電話加入権に関する処分禁止の仮処分や刑事告訴をして、その示談金として金八万円を上告人が受領した事実。

を綜合して、遺産目当てであることが明らかである。

二、上告人及び妻豊美子は、直人に対する第三者というよりは、事実上の継父継母というべきであつて(その理由は前述せり)亡義男と被上告人の関係に憤慨し、且つ、義男の遺志に基き利害を越えて直人を養育しているのであり直人に対する愛情はすこしも我が子と変らず、その監護教育並びに環境上いささかも他から非難されべきものなく、したがつて直人の学業成績もすこぶるよく、同人は何の物質的、精神的不自由もなく、すこやかに生長しているのであつて、これに反し、被上告人は、料亭の女中奉公をし(最近料亭幸楽を退き他に住み替えたり)その居所も東京都内を転々間借しているものであるから、通学児童である直人にとつては好のましくない環境であり、又被上告人の養母松本ハルは、子を持つた体験なく既述の如く性格異常者というべき人柄であるからこれ亦、好のましくない存在である。

三、直人は、自らの意思に基いて、上告人の下に滞留しているものであつて上告人は、今後もその好むところに従つてその居所を決定させるつもりである。決してこれを抑留する考えはないのである。

以上の事実からして、被上告人の本訴請求は、親権の権能の一つである監護権の濫用であること明白であるから、これを棄卸せらるべきであるのに、右が監護権の濫用に非ずとしたのみならず上告人の愛情と熱意をすつかり無視し、直人を従らに抑留しているが如き感を受ける原判決は、この点においても判決に影響を及ぼすべき違法がある。

第六点 原判決は、直人の居住の自由を侵しているから、憲法第二二条に違反する。

直人は既に満一〇年数ヵ月になつているのであるから、簡単なことがらについては意思能力を有するものであるから、特段の事情なきかぎり、同人をしてその好のむ所に従いその居所を決定させねばならぬのである。

そして直人は、前記の如くその自由意思に基いて上告人のもとに滞留しており、上告人が養育するのを目して、反社会性ありとする特段の事情は何もなく、却つてその方が直人の幸福をもたらすことなのであるから、これを無視して、その好のまざる所へ居住を強制することになる原判決は、憲法第二二条のいわゆる居住の自由を侵害するものであつて違憲であると思う。尤も親権者は、民法第八二一条により、子の居所を指定する権利があるけれども、それは強制できない性質のものであるから本件の場合右の規定があるからとて原判決が違憲たることにかわりはないと思料する。

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